なおこの記事は以下の音声を元ネタにしています。
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ここがちょっと違和感があるというか、ミサトさんもゲンドウも幸せになるエンドはなかったのかな、とも思っちゃいますね。
いや、決してそうではないのだろう。
シンジはエヴァのいない世界を作りたかっただけで、結果としてそれが今の僕たちの現実につながるというひとつの解釈があるのだ。
この ラストシーンの意味は、エヴァンゲリオンの夢オチとまでは言いませんが、 エヴァンゲリオンから卒業して、現実の世界で迷いながらでも、人間に強く生きて欲しいというメッセージがあると感じました。
この記事のおかげでようやくシン・エヴァンゲリオンについて基本骨格は理解できたけど、理解するのに最低限このレベルの努力を求められる作品というのはエンタメとしてどうなんだという気はする…… ただ、映画体験としてシン・エヴァンゲリオンが素晴らしいと思ったかというと全然そんなことはなくてまだまだツッコミどころは無限にある。
あんりみてっど・ぶれいど・わーくす……。
ユイを取り戻す立場として、ゲンドウの側に立つと思われたマリが裏切ったことを、キリストを売った「イスカリオテのユダ」になぞらえたわけです。
シン・エヴァでみんなその呪縛から解放されたと思うと感動もひとしお。
アディショナルとは、「付加的な、追加の、さらなる」文脈によっては、「さらに~、その上に~」という意味も持つ。
庵野監督が影響を受けていることは確かだろう。
計画では地上のすべての生命を消すはずでしたが、加持リョウジが命と引き換えにそれを防いだとされています。
作中でアスカが「シンジみたいなガキに必要なのは恋人というより母親だ」っていってたのはそういうことなのか……。
さらにストーリー内容もテーマ性が深く、日本アニメ映画史上の最高峰になったと思う。
そこで、様々な感情を覚えていくのですが、レイはクローンであり、ネルフでしか生きられない存在なので、シンジを元気にした後、形を保てなくなり、LCLになってしまうのでした。
しかしこのオリジナルのアスカは、カヲル同様わからないことだらけです。
「破」と「 Q」の間が 14年間空白になっているために、• なぜなら融合は、 現実というパラレルワールドありきでしか成立しない考え方だから。
現実を見ろ!ということだ。
アスカが怒って無理矢理レーションを食べさせると、シンジは近くの湖へ家出した。
これもけっこう前時代的というか、マインドフルネス、認知行動療法の時代に、アドラー心理学本がコンビニにも並んでいる時代に、フロイト的トラウマと向き合うことで自己の成長を促す物語って、どれくらい現実性があるんですかね。
マリエンドのメッセージとは? マリエンドのメッセージとしては、「 家族を乗り超えて、大切な人と幸せな関係を築け」ということだと思う。
あと、全体を通して、ロボットアニメの美学としては素晴らしかったのですが、一方で、ロボットアニメというのを抜きにすると、骨格となるテーマが血縁親子の対決と昇華、というのと、思春期男子女子の「好き嫌い」の感情の機微、この 2 点に帰結されそうなんですよね。
『Q』の本部がボロボロで孤立していることからも、 ニアサーのあとゲンドウは一旦捕まってから逃亡したあと、本部に戻って籠城 ろうじょう して好き勝手やっていたのだと思う。
「黒き月」が落下した地点は、後に第3新東京市となる箱根。
これまで明らかになっていなかったクラスメイトなど、前作の謎や疑問が少し解消されたことになります。
特に アディショナルインパクトは、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」で初登場した重要な用語。
こんな良い映画を観たのは本当に久しぶり。