彼女は以前日本語を勉強していたそうで、 お互いに写真を撮り合って、大したこともしなかったけど 大変喜ばれて別れた。
言ってみれば使命のようなものを感じていたのだとか。
クスノキは爆心地から約800メートルのところにあり、樹齢は約500~600年。
実はいまでこそこれだけ生い茂っていますが、被爆直後は枝葉が吹き飛ばされ、熱線で木肌は焼かれ枯死寸前の状態だったようです。
と思われますが、実はちがいます。
他の鳥居は原爆被害でなくなったのか。
「クスノキ基金」 被爆2世の福山さんは2014年に被爆樹木をモチーフにした曲を発表しています。
二の鳥居は片足鳥居となり一の鳥居は原爆に耐えて奇跡的に無傷でのこりましたが、昭和37年に不慮の事故により倒壊し、現存するのは片足鳥居だけとなっています。
長崎に生まれ育った人として、自分にできることを考え続けてくれているからこそ生まれた曲なのだと思います。
その姿は、原爆によって「70年は草木も生えない」といわれた土地に住む人々に希望と勇気を与えました。
この楽曲のタイトルになっているクスノキがある神社の鳥居(爆風を受けて一本足で立っている鳥居)のところで撮影した写真が高校の卒業アルバムに載っているのだとか。
福山さんはラジオで自身が被爆二世であることを語っており、それが一時大きなニュースにもなりましたが、本人は特に隠していたわけではなかったようです。
生命の尊さと、恒久平和への願いを伝える存在として今もなお!その場所で生き続けています。
福山さんは2014年4月、被爆クスノキを題材に「クスノキ」を発表した。
石灯篭を真ん中にして両脇に大きなクスノキが立っている。
二日間歩数が少なかったので、山王神社まで行く。
ところで倒壊した左半分が気になりますね。
神社などによると、原爆で幹の一部を失い、黒くこげ、枯れ木のようになった。
* * * 今、長崎では、中学生、高校生、大学生が平和の活動を活発に行っています。
生命の尊さと、恒久平和への願いを伝える存在として今もなお!その場所で生き続けています。
福山雅治さん関連記事. 最初からアルバムの1曲目にというイメージはあったようです。
そして、被爆クスノキは現在も治療中との看板が! 幹の部分などには、手当てを受けた後が見られます。
このアルバムを制作するにあたって、「時期なのかな。
終戦から75年。
それがこの「クスノキ」という歌になったそうです。
そしてすぐに若い男性が現れた、残念。
基金残高は8月25日現在で約5000万円に上っており、今回の事業費にも充てられるもようです。
片足鳥居を通りすぎると山王保育園が見えますので、左へ階段を登るとすぐに山王神社があります。
SMART」 あとがき 平和を守るために、過去を包み隠さないで悲惨なところを見せることは大切ですね。
クスノキは爆心地から約800メートルのところにあり、樹齢は約500~600年。
その様子が下の画像で分かります。
その中の一本であるこの被爆クスノキが教えてくれる「生命の逞しさと脆さ」を、KUSUNOKIプロジェクトを通じて伝えてゆけたら。