三途の川の「三途」は仏教に由来するもので、仏教の世界観における六道の内の三つ 「餓鬼道(がきどう)」「畜生道(ちくしょうどう)」「地獄道(じごくどう)」を意味します。
「恐山」は青森県むつ市にあり、宇曽利山湖の周囲一帯のことを指します。
この石を積む子どもたちも、最後には地蔵菩薩がやって来て、救済してくれると言われています。
彼らは六文銭を持たない死者が川を渡ろうとすると、六文の賃料の代わりに死者の衣服を剥ぎ取ってしまいます。
六文さえあれば三途の川を渡れるという考えは、貧しい庶民にとっては救いとなる考え方だったのかもしれません。
しかし、もしあるとしたら、川を渡る時に重要なのは生前に重ねた罪の重さです。
それぞれの渡り方について紹介します。
しかし、この子どもたちにも永久に救いがないわけではありません。
賽の河原にある石積みの刑 三途の川と同様に有名な言い伝えとして、「賽の河原」があります。
京都にある鴨川と桂川が合流する場所は、昔「佐比の河原」と呼ばれ、この辺りでは庶民の葬送が行われていました。
例えば、三途の川を渡るためには六文銭が必要と言われています。
このことから賽の河原という言葉は、「徒労」であったり、「報われることのない努力」といった意味でも用いられます。
また、宇曽利山湖の付近には、 賽の河原と呼ばれる場所もあります。
日本に実在する三途川 三途の川と呼ばれる場所は、実は日本各地に実在します。
まとめ 死の瀬戸際にあった人が「綺麗な川を渡ろうとしていたら、死んだはずの家族が『渡っては駄目だ』と言って引き止めてくれた」というような形で、三途の川を夢に見たことを語る体験談は少なくありません。
この時の枝の垂れ下がる具合によって、懸衣翁は死者の生前の罪を計ると言われています。
あの世とこの世を隔てる川という概念は、仏教だけではなくギリシア神話などにも見られる普遍的なものです。
この賽の河原と三途の川は別々のものではなく、 三途の川の河原が「賽の河原」と呼ばれています。
一般的な通説としては、民間信仰として信じられてきた道祖神である「賽の神」と、仏教における地蔵信仰が習合したことで、「賽の河原」が生まれたと言われています。
このため古代のギリシアでは、死んだ人の口の中に渡し賃の1オボロス銅貨を入れ、弔いをする習慣があったようです。
ですが、この六文銭が「なぜ必要なのか」ということまで深く知り、語ることのできる人はそう多くはないでしょう。
重罪人はこのような難所を渡らなくてはなりません。
カローンは老人で、小舟で死者の霊を彼岸へ運んでいきます。
懸衣翁と奪衣婆はどちらも三途の川にいる係員ですが、同じ仕事をしているわけではありません。