また「らん」は現在推量「らむ」の変化したもの。
」と言へば、寄りたるに、 黒戸に主殿司がやってきて、「ここに控えています。
作者は、 「(今、公任宰相と一緒に)誰と誰がいるのか。
【原文】 二月つごもりごろに、風いたう吹きて、空いみじう黒きに、雪すこしうち散りたるほど、 黒戸に主殿司来て、「かうて候ふ」と言へば、寄りたるに、 「これ、公任の宰相殿の」とてあるを見れば、懐紙に、 すこし春ある心地こそすれ とあるは、げに今日のけしきに、いとようあひたる、これが本はいかでかつくべからむと思ひわづらひぬ。
「たれたれか。
」という言い方で説明しなさい。
げに、おそうさへあらむは、いととりどころなければ、さはれとて、 空寒み花にまがへて散る雪に と、わななくわななく書きてとらせて、いかに思ふらむとわびし。
」とてあるを、見れば、 懐 ふところ 紙 がみ に、 「これは、公任の宰相殿の(お手紙です)。
清涼殿の北側にあった。
主殿寮の役人は、「返事を早く!」とせかす。
とばかりぞ、 左 さ 兵 ひょう 衛 えの 督 かみ の中将におはせし、語り給ひし。
」とばかりぞ、左兵衛督の、中将におはせし、語り給ひし。
主殿司は、「とくとく」と言ふ。
』と問へば」の「か」のように係り結びが起こるはずが、結びの語が書かれていない場合を何と言うか。
「一条天皇が(中宮定子様のところに)いらっしゃって」 という意味です。
「『たれたれか。
みないとはづかしき中に、宰相の御いらへを、いかでか事なしびに言ひ出でむ、 と心一つに苦しきを、御前に御覧ぜさせむとすれど、 上のおはしまして、御とのごもりたり。
ところで、これは、和歌の下の句。
空は暗く、強風で雪も散っている冬空の日に「春らしいね」という下の句が送られてきて、 清少納言は「まるで散っている雪が花吹雪みたいで」と見事に上の句をつけるわけです。
」と尋ねると、(主殿司は)「誰それ(です)。
」と言ったのは、なぜか。
「これが事を聞かばや」と思ふに、「そしられたらば聞かじ」とおぼゆるを、 「俊賢の宰相など、『なほ内侍に奏してなさむ』となむ定め給ひし」とばかりぞ、 左兵衛督の中将におはせし、語り給ひし。
。
枕草子106段:二月のつごもりのころ 現代語訳・品詞分解《後半》 主殿司は「早く早く」と言う。
みないとはづかしき中に、宰相の御いらへを、いかでかことなしびに言ひ出でむと、心ひとつにくるしきを 現代語訳 (主殿司のあげた名前が)みんなとても、こちらが恥ずかしくなるほど大変すばらしい方という中で、公任の宰相殿へのご返事を、どうしていいかげんに言うことができるだろうかと、自分の心だけでは苦しいので いと … とても はづかし … (こちらが恥ずかしくなるほど相手が)すばらしい 宰相 … 藤原公任 御いらへ … ご返事 いかで … どうして ことなしび … なにごともないようす 心ひとつ … 自分の心だけ くるし … 苦しい 「はづかし」は非常に重要な単語で「恥ずかしい」という意味もありますが、それが転じて「こちらが恥ずかしくなるほど相手がすばらしい」という意味も持っています。
「(公任の宰相殿と一緒にいるのは)誰々か。
往歳曾為西邑吏 慣従駱口到南秦 三時雲冷多飛雪 二月山寒少有春 我思旧事猶惆悵 君作初行定苦辛 仍賴愁猿寒不叫 若聞猿叫更愁人 途中に「二月山寒少有春」があります。
清少納言はそもそも、公任の歌にフィットする上手な句を作れるか不安であるため、この「~」に入るものは「へたくそ」です。