民主主義のもとで言論抑制は行われてはならない。
話題になってるからもう多くの人が見たと思うけど。
永遠にやっていればいい。
であるなら、この支えてくれた人に焦点を当てて、謝辞を書けば良いんじゃないか。
誤解の無いように言っておくと、僕は変人や尖った人やひねくれ者が大好きなので、こういう尖った謝辞を載せようとする人がいたこと自体がまず嬉しいし、小堀さんの優秀さも素晴らしいことと思う。
そのとき彼女の意見がこれほどの過激さをもっているにも関わらず、学部として自由を大切にする姿勢を見せたことは、とても素晴らしいことだと思います。
言論の自由があると言っておきながら、ありきたりなことはわざわざ言葉にする必要はないと言論や表現の自由を否定しているのよ。
それならば、席を譲られて「ありがとう」という必要がないと言うのね😱。
学習院大学卒業生の謝辞が賛否両論話題になっているらしい。
公表されたものを私は引用し言及した。
私たちにはがある。
どんなに学業優秀でも、どんなに地位が高くても、それを理由に「おかしい」ことが言いたい放題まかり通るならばそれは中世の独裁国家と何も変わらないではなかろうか。
私たちには言論の自由がある。
しかし、その期待と不安は個々に異なるものでる。
ああ、若いな。
それは眠った世界だ。
民主主義のもとで言論抑制は行われてはならない。
- 6,799 views• そして、才能ある自分はおかしいことをいう権利があるという。
しかし、私は素晴らしい学績を納めたので「おかしい」ことを口にする権利があった。
新型コロナ騒ぎによって日本も世界も先行き不透明な情勢ですが、小堀さんの謝辞を取り巻くこのような社会環境の中の、よい変化を育て、悪い面に流されることなく、力強く生きていきたいものではないですか。
多くの総代の謝辞が見事な定型文と美辞麗句であり、思考停止であると言うのなら、彼女の謝辞も、私から言わせたら、見事な飛躍と典型的な反骨表現であり、批判ありきの思考停止と考える🤔 私は自分のために大学で勉強した。
彼女は「自分は自立した大人だ」と言いそうだが。
永遠にやっていればいい。
支えてくれた人がいたんだよね。
そんな人生を私は心底嫌い、金と自由を得るために勉強してきた。
私は自分のために育ってきました。
確かに憲法で保障される人権について言えば、それは国民の全てが享受するものであり、何かの対価として与えられるものではありません。
その前提を否定する言論は否定し、抑制して良いというのが、民主主義なのよ。
経済的に自立できない女性は、精神的にも自立できない。
頑張った人は、まず、頑張った自分自身をほめてあげる。
しかし、それは本当にその人の言葉なのか。
でも、いつもおもうんだけど。