この世界には、空気があって、風があって、重力があって、物体には柔らかさや硬さがあって、それでいてそれらの全てがつながっていて、そういったものが時間が流れることでそのような動作をするのか・・・それらが極めて自然に描き出されているアニメーションなんですよ。
僕は、最近のTVアニメも少しだけ見たりするんだけど、それはそれですごいおもしろいし素晴らしい作品もあるんだけど、やっぱり宮崎駿氏のジブリアニメにはかなわない部分があると思うんですよ。
「私の思潮だけが正統だ」と言っても、史的には何の正統性もい。
ヒープは軽薄、酷薄、そして邪悪だ。
それだけ宮崎駿氏を怒らせることに成功したということは、アニメの神的存在に「リアルなゾンビ」であると認めてもらったということです。
知識ややや知性を用いながら、精を陶冶する思想ではないか? こういうに見なして、はそうではないとするもいよう。
そのエンドロールに「プロデューサー見習い 川上量生」のクレジットがある。
「」をの的にするか?と問われたら絶対にしないのにその「」というから外れたらその間に的にしてしまう。
そして、陳腐で排撃的な教養義は精の深みを見つめる事に失敗する。
それはすなわち自然の流れに逆らうものを作り出したということだから「生命への侮辱」を行っているのは間違いないわけです。
が、精の陶冶による良心的で成熟した高みへの上昇を説くのは、別に構わない。
対して、は的でありたいという希を持ち合わせている。
々は的明朗精だけではく、ニュソス的破滅精をも内蔵している。
それが、参与の場合もあれば、精義の場合もある。
これを作る人たちは痛みとか何も考えないでやっているでしょう。
むしろ宮崎駿氏のホラー的な怪物は全部生命感に溢れているんですよ。
ドワンゴ川上さんが一喝されたシーン。
その彼のことを思い出して、僕はこれを面白いと思って見ることできないですよ。
(続く). 技術云々ではなく、映像そのものがよくない、という批判があるかもしれない。
極めてなにか生命に対する侮辱を感じます」と川上量生に対して怒りを露わにした。
宮崎氏:どこへたどり着きたいんですか? 誰か氏:人間が描くのと同じように絵を描く機械 宮崎氏:地球最後の日が近いって感じだね。
したがって、どこへたどり着きたいのか、という問いに対して「人間が描くのと同じように絵を描く機械」を目指すと答えるのは全く間違いではない。
僕も、ジブリ作品の大ファンで小さい頃から何回も何回も繰り返してラピュタやナウシカなどを見ていました。
極めて何か、生命に対する侮辱を感じます。
『・コパー』において、は、ユライア・ヒープなる登場人物と因縁の関係を結ぶ。
話がそれてしまった。
ひょっとしたら「ターミネーター」みたいに世界の終わりの始まりかもしれないけど、だからこそアニメの神の怒りを買ったのかもしれないけど、個人的にはそっち方面も頑張って欲しいよねと思いました。
身体障害者の友人を思い出した、人間の生命に対する侮辱、人間に自信が無い証拠、世も末だと。