母と父が他界したいま、そのことに対して考えていることを書いた本なので、決して家族を捨ててしまいなさいという意味ではないです。
また、痛みを訴える母親に、開業医だった父親が毎日のように鎮痛剤を注射していたことから、母親は薬物依存に陥っていき、遂には勝手に自分で打つように。
体験後、「今まで自分はほとんど心から笑うことはなかった」「笑うっていうことがこんなに気持ちいいことだと初めて分かった」「笑うことを外に出てからも思い出してやってみたいと思った」といった声が返ってきたので、刑務官も私もやる価値があるかもしれないと実感し始めたところです。
やっぱりといいましょうか。
「我慢しきれなくなって。
おおたわさんは、けっこう大変な思いもしていたみたいです。
本当は患者さんのためにも使うんですけど、とりあえず母親から遠ざけることにしました。
家族は隠そうとします。
実母の依存症、過度のしつけとは? おおたわ史絵さんは、1964年10月15日生まれ、東京都出身。
私が研修医時代、家を離れたときは母のすさまじい行動を見ずに済むので気は楽だった半面、父に任せきりで申し訳なさもありました。
しかし、1日中鍵が閉まっており夜になっても電気が付かず、レスキューや救急を呼んで鍵を開けてもらったそうですが、母はベッドの上で事切れていたそうです。
依存症って、好きで楽しくてやり続けていると思う人がいますが、本人は本当は死ぬほどやめたいんですよ。
おおたわ史絵は、患者ひとりひとりに100%立ち向かわなければ気が済まない性格で「激務は患者さんのためだ」と考えて全力を尽くし過ぎたようです。
幼い頃に患った虫垂炎の処置の遅れのために、慢性的な腹痛に悩まされ続けていた元看護師の母親。
こっちもたまらないので電話を切ってしまうと、今度は一日中救急車を呼んでしまう。
しかし、そんななかでも、「太陽の光に当たる」「動物と接する」「木や土に触れる」といった生活習慣は続けていたそう。
おおたわ史絵さん(以下、おおたわ): 殺したいというか、死んでくれとは思っていましたね。
おおたわ: いま思えば私が中学生のころも高校生のころも、おかしな状況だったんですよ。
実母は看護師だったことから、自分で注射も打ててしまうため「気が付いた時には腕、足、打つ場所がないぐらい注射の跡だらけだった」と振り返った。
おおたわさんと同じ医者である父親の治療によって、 鎮痛剤の注射を打ったところ、自身で鎮痛剤を打ち続けまくったのです。
かわいいと言ってもらえない。
母と絶縁状態になることを選び、一切の連絡を絶ったという。
私の悪口を親戚や知り合いに言って回る。
最終的に母親は心臓の発作みたいなことで亡くなってしまいました。