見える世界がこの世での役割を終えようとするとき、「白い手」がそれをもう一つの世界へと導いてくれる。
「詩人は『いのち』の発見者であり、守護者であるだけではない。
私はそうした日々に彼女の詩に出会った。
早世の詩人・ブッシュ孝子、死後半世紀経て全作品集 いま語りかける、魂のうた ブッシュ孝子が病床で詩をつづったノート=服部和子さん提供 病により28歳で世を去った詩人、ブッシュ孝子の全詩集が今春、刊行された。
スは、孝子のために来日し、1971年(昭和46年)9月26日、二人は日本で結婚をします。
「この世にいたのは28年間でしたが、人生は長さではないのですね。
〈無声慟哭〉ののちに「私」に彼方から聞こえて来た無数の声。
その詩は、彼女の没後、教育学者でもあり詩人でもあった周郷博によって編纂され『白い木馬』として公刊され、衝撃を与えた。
手術を受けたのち、来日したヨハネスと結婚し、ブッシュ孝子となった。
その時まで、私は矛盾している物事があると、 それを整理して矛盾がないようにするのが良いことだと思っていた。
若くして病を患い、闘病中にドイツ人青年と結婚した女性が、命を終えるまでの五か月間にノートにつづった詩のことば。
そこには次のように書かれてあった。
死の直後に出された唯一の詩集から半世紀近くを経て、未発表の作品も収められる。
苦しみのなかにあって助けを見出せない人を思い浮かべながら、詩を書いてみてください。
未知の他者が流した不可視な涙によって私たちは、自分の知らないところで救われているのかもしれない。
見えない涙がその頬をつたうのである。
(略) まず、取り上げたいのは、先に見たブッシュ孝子の作品です。
失うという事を 知らない人がいる 得るという事を 知らない人がいる 何だか最近は そんな可哀そうな人ばかり 秋の夜長に、ページをめくりながら、 ちょっと立ち止まる。
《私のために生きようという人がいる/その人のために私も生きよう》 新型コロナウイルスによって私たちの社会は混乱し、他者との関わり合いにも暗い影が落ちる。
「親の気持ちは、矛盾するものなのよ」 というのが、母の答えだった。
(pp. その交響楽に身をゆだねる。
服部(旧姓)孝子はお茶の水女子大学大学院で児童心理学を学び、ドイツに渡った。
さびしいのはよくないことのように感じられます。
その後、ウィーン大学で研究に励んでいた時、ヨハネス・ブッシュと出会う。
宮沢賢治やリルケなどを愛読し、かねて「童話を書いてみたい」と願っていた彼女は、73年9月から詩をつづり始めた。
そこでは、この世にあったときよりもずっと美しい姿となる。
と記している。
私はそうした日々に彼女の詩に出会った。