りん(=じゅり)=虐待をする実の両親の元に戻される。
しかし「パラサイト」では、主人公家族の貧困ぶりに思い入れることはほとんどできなかった。
劇中の「できたな!」の台詞は念願の童貞喪失を喜ぶ姿を表しているとのことです。
彼女がなぜこの名前を用いるのかということに関してですが、この「さやか」というのは彼女の血を分けた妹の名前なんです。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。
記者からの「社会問題をテーマに選んだ関係上、観衆の対象として監督の頭の中に政治を生業にする人、あるいは官僚、そういった人たちがイメージの中にあったのか」には、「ありませんでした」と即答。
だからこそ、血のつながっていない治たちを家族として受け入れたのではないかなと思います。
更に本作で観客の心を揺さぶるのは、やはりそのラストシーンだろう。
作中で初江は、前夫の月命日に後妻との間に生まれた息子夫婦が住む家を訪れ、供養ついでに慰謝料などの名目で金を無心しています。
血を分けた親が放り出した子どもを赤の他人が大切に育てる、というところから物語は始まり、徐々に背景が見えてくる。
しかし、つまらない映画ではない。
本作はPG12(12歳未満の鑑賞には保護者の同伴が適当)指定がされており、それも妥当なレーティングと言えます。
彼女は実は店ではあまり人気がないんです。
そしてもうひとつ。
「ゆり」とは「じゅり」の聞き間違い• 貧困の中で生きる家族構成の描き方は、「海街diary」のような一般家庭を覗き見する感じになっています。
しかし、宣伝を鑑みていなかった他のタイトル案があったこと、映画本編はタイトルからは想像し得ないほどに複雑な内容であること、何より(例外はあるとは思いますが)タイトルという短い文字情報を映画の全てのように受け取らないほうが良い、ということをここで訴えておきたいのです。
公式の「正論」の虚構を、疑似家族の本音が暴いていくことになる。
信代の妹・柴田亜紀役を松岡茉優、治の母親・柴田初枝役には、ガンで亡くなった樹木希林さんをはじめとする豪華俳優陣が顔をそろえます。
だけど、あの疑似家族が示した絆には捨てがたい魅力があることも確かで、「しょうた」がその両義性の中で揺れるのは、まったくその通りなのである。
そんな治が幼かった頃に感じたかった幸せを、祥太に与えたかったのかもしれません。
だが、遂に車上荒らしの片棒を担がせようとするに至って、ようやく祥太も父のダメさと違法性を真剣に考えるようになる。
娘が欲しいという気持ちも強かったのでしょう。
東京の片隅に暮らす家族が、ある事件をきっかけに、抱える秘密が次々と明らかになっていくというストーリーです。
と考えさせるのだが、同時に、では不幸せとは何なのかを考えたくなる。
子供たちはこの2人の実の子供ではなく、家族縁の薄い子供たちを家に連れ帰っては自分の子供として育てていました。
「4番さん」という風俗のお客さんの存在もそうだ。
彼女は血の繋がった母親から常に「産まなきゃよかった。
彼らには圧倒的に言葉が足りないのです。
最後に 思えばその過去の作品群でも、現代における家族の形や、血縁関係を越えて結ばれる絆を描いて来た是枝監督。
僕はとっても面白かったですね。
こういった展開も『万引き家族』を見ていて面白いなと思う要素でした。
そして、息子として親の愛を受けられなかった自分を酷く卑下しています。