あ、しかもヤリ手ババアもしっかり写っている。
この辺までくれば繁華街のギラギラ感はないな。
線路を渡ったら信号機のある交差点までひたすら直進し、信号機のある交差点を渡ったら左へ。
ところが戦局のさなか、空襲で壊滅してしまいその後再興。
まさに戦後の赤線感。
それも松山土橋のように行き遅れた感じもないのがアンバランスで奇妙に映る。
のっけから明らかに普通の民家ではない造りの建物を発見。
とりあえず、遊び方の一通りの流れは書きました。
そんな下町にさらに、わかりやすい?目印がある。
徳島へ出張に際はここまで来てみては。
私はちょっと・・・無理でした。
それも松山土橋のように行き遅れた感じもないのがアンバランスで奇妙に映る。
家にある家財や資産を質に入れても遊ぶ金を捻出していたのだろうか。
あとは遊びに行くかどうかは、 みなさん次第です。
ヤラカスの由来を調べたんですが、確度が高そうなものが見つからなかったので各自調べてください。
さらに家屋に横付けでプレハブ小屋を置いている「店舗」まで…営業時間中にはこの小屋の中に年頃な感じの嬢が何人か待機しているのが見えるなど、目を疑う光景が飛び込んでくる。
「ここは(あかん)」とか「無理無理無理無理」とか思った場合は「ちょっと他も見てみたいんで・・・」って言って断るかスルーしましょう。
風よけで扉のところにベニヤ板が立てかけられている建物は、遊べる・・・いや ヤラカスハウスです。
あの阿波踊りも、この徳島城完成の際の踊りだという。
見るからない異様な光景だ。
この秋田町遊郭(富田新地)は戦災によって一度壊滅し、戦後に赤線地帯「南新地」として復活、それが売防法施行後半世紀以上が過ぎた平成の世である現代にも細々と生き長らえているというのだ。
こちらも屋号は何だろうか。
しばらく直進し肉屋が角にある交差点で右へ。
まあとにかく華もないったらありゃしないといった所で阿波踊りの勇壮華麗さに比べれば正反対のアンダーグラウンドな街並みが広がっている。
いや本当の話。
私はちょっと・・・無理でした。
ヤラカスの由来を調べたんですが、確度が高そうなものが見つからなかったので各自調べてください。
赤いカーテンが何か深い意味を持ちそう。
四国もまた関西と同じく非合法売春(ちょんの間)地帯が図太く生き残る特殊地域が何箇所か存在するようだがそれは徳島県にもあった。
そんな古い町なので、当然の如く城下町にはそれなりの遊郭があり、戦前までは秋田町遊郭や富田新地と言われていたようだ。
ここから、商売女が通りを見ていたのだろうか。
だが確かに我々取材班は夜間当該の路地を散策中にこの家屋に呼び込みのやり手ババアと嬢が待機していたのを目撃した。