それが山県元治だったのである。
男性不信の母の影響で、彰子は縁談などもまとまらなかったといいます。
いくつになってもお金にはとことんだらしないのでしょう! その後の動向はわかっていないのですが、生きていれば現在80歳近いので、山県元次も現在はなくなっている可能性はあるかもしれません。
なるほどね・・・ 家庭環境が少なからず彼女の人格形成や恋愛に影響していると考えられるわね。
所内ではおとなしく、おどおどしていたこともあって、いじめの対象になっていたということです。
大阪で生まれてからは、家族で京都市左京区に移り、1948年3月に市立堀川高女を卒業します。
ガラス店に6年間勤めた後、山県は独立し陶器店を始めたが、 競艇ですって、すぐに店を潰してしまった。
大竹章子同様、ごく一般家庭に生まれたのでした。
しかし断られた。
また、逮捕されてわかったことは、犯人の奥村は金を自分で使うことはなく、そのほとんどは恋人・山県元次のギャンブルや豪邸を購入するためなどの資金として消えていたことだった。
奥村が預金の誘いを するとすぐさま100万円の小切手を 渡す程に奥村が好きだったようです。
そういった影響もあるように思われます。
出所後は逃亡先で知り合った男性と結婚したということだが、奥村は逮捕後、本当の男がどういうものか初めて知ったと、この男性について語っていたという。
奥村は同年2月までの6年間で、およそ1300回にわたって史上空前の9億円の金を着服、ほとんどを10歳年下の元タクシー運転手・山県元次(当時32歳)に貢いでいた。
本当に人の運命というのは不思議なものです。
同時に定時制の高校に通っていました。
山県元次が競艇場に姿を現すと、舟券の売上高が大きく上昇し、賭けた買い目のオッズが大きく変動したという逸話も残っているのだとか。
新聞や週刊誌で見た逮捕時の派手なミニスカート姿しか知らない私には、とてもあの奥村彰子だとは思え なかった。
そしてその時、勤務先の銀行がちょうど定期預金の大募集期間だったこともあり、 奥村は「私の銀行に預金をして欲しい」と頼んだ。
私は、個人的にこの事件が一番興味をそそられるの。
この女性支店長代理は、58歳で病死しているということです。
奥村は山科支店から東山支店に転勤することになった。
当然、詳しくはテレビで特集が組まれるので、 具体的には番組を見てもらうとして、 ここではテレビ放送ではとても明かされない 情報を盛り込むことに尽力した。
6年間って日数で表すと2000日ぐらいになると思うので、ほぼ毎日横領していたことになりますよね。
また、1970年代は、が日本人を活発に拉致していた時期でもありました。
定職もないのに、外車、モーターボートを数台づつ持ち、さらには豪邸に住み、ギャンブル遊びでは1000万円すった翌日、再び1000万をつぎこんだりしていた。
落ち込んでいる時に優しく語りかけてくれた山県に魅力を感じ、 「また会いたい」と思ったが、 自分に自信がないことからの嘘だったという。
ある日、彼氏と喧嘩して落ち込んでいた時、職場の懇談会の帰りのタクシー運転手が山県元治でした。
奥村の潜伏先もバラし、奥村は大阪の アパートで逮捕されました。
定期の中途解約では追いつかなくなり、 架空名義を作り上げて100万単位で引き出し始めることに。
女子校に通っていたのですが学制改革で 高校3年に編入しましたが途中で退学しています。
当時北野支店勤務していた奥村彰子(当時35歳)は10年下の山県元次と出会います。