最初はとても苦しかったけど、少しずつ体が慣れてきました。
『肉体百科』 1991 のち文春文庫• 年齢的に、ギリギリのタイミングだったと思います。
その後転々と職を変えた後、や目黒考二の本の雑誌社に事務職として入社。
当時私は『東京人』の編集者で、月手取り二十万円という薄給で休みも取らず仕事したけれど(結果的にそれが良かった)、仕事で出会ったライターたちは、自著を持たなくても、皆年収二千万円を超えていた。
『モモヨ、まだ九十歳』 1992 のち文庫ー祖母の話• なんだか少しずつ変わっていくんです。
これまでずっと一緒にいてくれたことの感謝を伝えたかったからだ。
「ベランダに放置した荷物の山も、風景の一部と化して何も感じなくなっていた」。
「通帳にはお金が貯まっていった」。
ご注意ください。
今ではむしろ知らない人の方が多いかもしれないが群ようこは『本の雑誌』にいた(その頃のことを殆ど書かないから関係悪化が退社理由かと思っていたけれど、「目黒考二さんにも椎名誠さんにも、本当によくしていただいた」とあるので安心した)。
たとえそれが仕事であったとしても、どこかで自分の身体を俯瞰し、自分の身体を見つめ直す時間を持てていたとしたら。
発売日順に並んでいます。
催促されるようになるとは思わなかった。
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1954年、東京都生まれ。
『働く女』集英社 1999 のち文庫• ベランダも家の中も、モノが溢れかえっていたから、ずっと気になっていたんです。
社員は群ただ1人で、椎名や目黒はたまにしか事務所に顔を出さず、たまにかかってくる電話注文に応対するのが彼女の仕事であった。
(2015年12月26日、WOWOW) - 脚本 脚注 [ ] []. ただシオちゃんが幸せかというと微妙な問題だなと、私は書きながら思っているんですけれども(笑)。
ベランダも家の中も、モノが溢れかえっていたから、ずっと気になっていたんです。
『おかめなふたり』幻冬舎 2002 のち文庫• 『れんげ荘』角川春樹事務所 2009 のち文庫• 3LDKの住まいは狭くはないが、20年以上住み続けてものがあふれていた。
角川春樹事務所で交互に刊行している「れんげ荘」シリーズは、同じくゆるい雰囲気で、映像になっていない分、私のイメージでずっと進めています。
「アメリカ居すわり一人旅」角川文庫• 漢方薬を扱っている先生は、どこも勉強熱心かと思います。
漢方は予防医学なので、先生が調合する生薬というのは、病気の治療というよりも体質の弱点をカバーするものなんです。
蔵書の8割がたは処分したと思います。
群ようこ(撮影・三原久明) ドラマでも話題となった30万部突破の大ロングセラー! 「パンとスープとネコ日和」シリーズの第5弾が発売されました。
すると、漢方がいちばん適切かな、と。
群 アキコと私は、生まれ育った環境や基本的な性格は違っても、自分で働いて生きていこう、というのは同じです。
今年のはじめだったが、夜、ベッドに横になりながら、飼われた動物は飼い主を選べないので、自分はいいと思っていても、向こうはそう感じていないかもしれないと考えた。
『かつら・スカーフ・半ズボン』 1995 のち• 篇』新潮文庫 2001• 読者の方が、よい先生に出会って、より楽しい生活を送ることができることをお祈り申し上げます。
椿の葉は触るとわかるが、肉厚で硬い。
とはいえ、70歳を超えると体力的な問題も出てくるし、自力での大規模な不要品整理は難しくなってくる。
群さんは昨年、自宅マンションの大規模修繕でベランダの荷物を撤去する必要があり、それを機に家中の整理に乗り出した。