高野山真言宗の勤行には、合掌と礼拝に始まり回向(えこう)に終わるまでの15の手順があり、それぞれにおいて祈りとしての作法が重要です。
『 大無量寿経』に説かれていることは、阿弥陀如来の本願以外にありませんから、親鸞聖人は『 』に、こう説かれています。
死ぬまで一心不乱に念仏を称えた人は、「 其の人命終る時に臨みて、阿弥陀仏諸の聖衆と與に其の前に現在したまう。
昼夜六時に曼陀羅華を雨らす」とは、極楽浄土では常にすばらしい音楽が流れている。
我見是利。
それが2500年もの時を超えて、インドから中国、中国から日本へと渡ってきて現代まで繋がってきたわけです。
聖道仏教は、さまざまな修行や祈りをとおした 「自力」によって、悟りを得ることや成仏することを説く宗旨です。
ほとんどのお経は、誰かの質問に答えて始まっています。
お釈迦さまの説かれた一切経が滅尽する時がくると言われています。
恒河沙数諸仏。
舎利弗、彼の土を何が故ぞ名けて極楽と為す。
浄光仏。
執持はすなわち一心、一心はすなわち信心なり。
是為甚難。
号阿弥陀。
このため、大無量寿経を「大経」、阿弥陀経を「小経」と呼び分けます。
南無阿弥陀仏 なもあみだぶつ を繰り返し読むお経が浄土真宗です。
「阿弥陀さま」との出会い 法然聖人のもとで学んだ親鸞聖人は、修行もできない愚かで弱い自分を、「かけがえのない尊いいのち」と大切にみてくださる阿弥陀さまという仏さまと"出会い"ました。
真実の浄土は、私たちの想像を超えたすばらしい世界なので、私たちの分かるものにしたがって説かれたということです。
しばらく沈黙が続いて、ご住職はいきなりこう言われました。
当信是称讃。
及宝羅網。
(大無量寿経) 「 諸根悦予 ( しょこんえつよ )」とは、体中が喜びにわきたっておられたということです。
「あのね、死んだらすぐに仏様になるのが浄土真宗なんですよ」 さっきのご住職の言葉に矛盾を感じたので、 「死んだら終わりと先ほど言われましたが、死んだら何が仏様になるのでしょう?」 とたずねると、 「魂ですよ」 とご住職は答えました。
其音演暢。
「 又舎利弗、彼の仏の国土には、常に天楽を作す。
舍利弗。
では『 阿弥陀経』にはどんなことが説かれているのか、まず全文と、書き下し文を見てみましょう。