心配することはない。
そこで、ポルトガルに支援を依頼するんです。
イサベラ女王はそれまで七百年もの間イベリア半島を支配していたイスラム教のモーロ人を、何とかしてすっかりおいはらって、隣のポルトガルのようにまとまりのあるキリスト教国にさせたいと願っていた。
コロンブスに好意を持った委員会長のタラベラや、メンバーの1人であるのディエゴ・デ・デサらは、委員会が否定的結論を出そうとすると引き延ばしにかかっていた。
結局、暴動を押さえるためにも、彼は乗組員の前でひと芝居打つしかなかった。
船は三月四日、ロカ岬を回ってタホ川に逃げ込むことができた。
「島のなかに国王のいる集落があるにちがいない」 コロンブスはそう考えて、二人の隊員と、現地人の道案内をつけて、島を探検させた。
相手の船のすきをみつけると、いくさをしかけ、つみ荷をうばいとるのがあたりまえのことだった。
そのことは、コロンブスには黙っていた。
しらじらと夜があけてきたとき、その小さな島が姿を現していた。
内乱はいっこうにおさまらなかった。
はじめに上陸したこの島は、いまからみればバハマ諸島のワトリング島だったらしい。
ありがとう。
ニーニャ号は沖にとまっていた。
これほどすばらしい土地も人もほかにない。
鉄砲という先住民が見たこともない武器で脅し、征服者たちは島の金銀や財宝などを根こそぎ奪いました。
イスパニョーラ島に黒人奴隷導入 評価 [ ] この記事にはが含まれているおそれがあります。
* 見果てぬ夢 * 映画「1492」のラストシーンが私には忘れられない。
ストーン! ストーン! ヒュー! ジェノバの船隊と、ベネチアの船隊の大砲から火がふきだした。
その断面だけを取り出してみたところで、真実は見えてきません。
3 陸が見えた! 十月十一日、海はこれまでになく荒れた。
やがて北緯三〇度から三三度にかけての、いわゆる無風帯も調子よく風に乗って乗りきった。
コロンブスの4回にわたる航海のあと 1 西回り航路の夢 エンリケ王子のおかげで海洋王国となったポルトガルは、その発見のくわしいところを秘密にして、海図はもとより、アフリカ沿岸のようすをよその国へもらさないように努めていた。
コロンブスがでしばらく病に臥せると、コロンブスの軍勢は凶暴性を増し、、、、、を駆使して、インディアンたちに黄金の在処を白状させようとした。
この小さな島の探検をする間、雨がふったりやんだりする天候になった。
- コロンブスを描いた1992年のフランス・スペイン・イギリス合作映画。
クリス トヴァン・コ ロンボ• 地球の大半は水で、西は果てのない海だけがどこまでも連なり、たどり着く陸地などないと考えられていたのである。
この計画は絶対に成功するとかもいます。
またはコロンブスについて「政治的、経済的、文化的なという、西洋史のなかでも最大の実験を開始したのがコロンブスである」と述べている。
しかし第二回の航海で来てみると、誰もいなかった。
最初の帰還とちかって、コロンブスは人々のつめたい悪評や、やきもちと戦わねばならなかった。
また、キリスト教の布教も容易におこなえると考えた。