過去には、無理して陽気になろうとしていた時期もあったし、明るくなければいけないと思い込んでいた時期もありました。
「護憲」や「改憲」といえば憲法9条ばかりが注目される構図に隠れて、24条についての議論が注目されてこなかったことに象徴されるように、「家族と女性」の問題はまさにそれが家族と女性の問題である(とされてきた)ゆえにこれまであまり焦点化されなかったところでありましょうが、この本では、国家権力が家庭領域に介入しようとする傾向と、その言説の中で、特定の生き方や家庭・家族のあり方が称揚され、さらにそれが実際的な形で(税制の形で)優遇される動きが論じられています。
私は創作と現実の開きが単語の置き換えくらいで、中身をたくさんいじるくらいなら書かない方がいいと思っている。
それが解決や答えになっている必要はない。
長い長い人生は、楽しいことばかりではない。
正しいと思い込んでいる道から外れた先には、 きっと面白いものが待っている 今だから思うことですが、問題に直面している当時は、周りが見えていなかったと思います。
その間に首の骨や背骨がじわじわと蝕まれていたらしい。
わけても、「家族と女性」をテーマとする章では、たびたび暗澹たる思いになりました。
「私」は言います。
たとえば初めて恋人に料理を作ったが上手く作れなかったとき、 「料理もできない、ちんぽも入らない。
『「Amazonレビュー地獄ですね」は「いいお天気ですね」くらい馴染みの挨拶になりました』(より)と語るこだまさんの元には、実にさまざまな反響が寄せられたそう。
私もすごく励まされた。
過去に性的なトラウマがある人は、まずはそのトラウマを克服することからやってみましょう。
学校教育に携わるのとは別の形で「教育的」である本、といえるのかもしれません。
「入らない」医学的理由は本書の中では明らかにならず、Amazonのレビューなどではこの点を不満としている読者が多いようですが、それはけっして本書の欠陥ではなく、むしろそのことが物語に寓話のような趣を与えています。
子供のころから自己肯定感というものがなかった 私たちは性交で繋がったり、子を産み育てたり、世の中の夫婦がふつうにできていることが叶わない。
あとがきにも書きましたが、「ほぼ素人の中年に毎回好きなテーマで書かせるなんて、ギャンブル以外の何ものでもない」と、今でも思っています(笑)。
著者のこだまさんは、本書プロフィールによると肩書は「主婦」。
子どもに関する悩みを抱えている方からの反響が大きいですね。
今作はQJで連載した20篇のエッセイ、2018年から今まで、およそ3年間のお話が収録されています。
本書で二ヶ所、「私」の母が謝る場面があります。
なんで【夫のちんぽが入らない】のか でも、なんで【夫のちんぽが入らない】のか。
」 (田村公江『性の倫理学』、丸善、2004、122頁) つまり、「浮気」や「不倫」は「性関係の不可能性」にともに向き合うべきパートナーシップを裏切るからこそ不実な行為である、ということです。
amazonのレビューを見ますとこの結末には、「何も解決していない」「なぜ医者に行かないのか」などのマイナスのコメントが見られますが、本書が伝えるメッセージはそもそも、それが好き好んで選んだ道ではなくても本人たちのゆく道を他人が非難してはならない、誰も「ふつう」であろうとしなくていい、というメッセージでありましょう。
今作は前作の単行本化とほとんど同時進行で連載していたエッセイなので、前作では書かなかったことを中心に書きたいなと思っていました。
たとえば「私の守り神」に書いたエピソードは、入院中に書き溜めていた日記をエッセイに盛り込んでいるんです。
「これは誰の曲」という質問も「良い曲だね」もない。
こだま SNS上の面識のない人に40数万円を振り込んじゃったことですね。