5メートル、長さ約12メートル、重さ約3トンにもなる太鼓台を総勢150人(多い地区では200人以上)ほどの「かき夫」と呼ばれる担ぎ手らによって担ぎ上げられる。
長野、池田、久保原、元船木、高祖、新田、中筋、北内、喜光地、上泉、下泉、東田、松木坂井、土橋、上原、本郷、治良丸、萩生東、萩生西、岸之下 大生院地区4台 [ ]• 祭り好きな市民気質から、寄付などを断れないという人も多い一方、祭りに関心のない市民を中心にこれらの費用負担を嫌って太鼓台のない地区へ転居する世帯、自治会への加入を拒否する世帯も少なくなく、新居浜市外(主にの)へ転出する世帯まであるといわれるが、明確な調査などは行われておらず、実態は明らかになっていない。
(平成元年) - 大江、楠崎、長野太鼓台が、スポレク愛媛89に出演。
(平成17年) - 松乃木太鼓台(川東西部地区)が新設。
学校での祭り集会と子供太鼓台 [ ] 新居浜市内の全小学校と上部地区の中学校には、太鼓台が入り「お祭り集会」が開催される。
(平成19年) - 市制施行70周年を記念し、国領川緑地にて3回目の統一寄せを開催。
浮嶋太鼓台(川東地区)が新設。
2020年(令和2年)- ふるさと祭り東京に萩生西太鼓台・萩生東太鼓台・岸之下太鼓台が参加。
昭和40年代に入り、毎年多くの死傷者が出ることに懸念を募らせた新居浜市及び警察等により「平和運行」をスローガンにかかげ、このような喧嘩行為の排除運動を始めた。
(分裂騒動の深刻化)。
テレビ中継 [ ] NHKや民放各社(フジテレビ、日本テレビ、TBS、テレビ朝日系列など)でこれまでにも多くの新居浜太鼓祭りの特集が放映されている。
(大きさは現在の子供太鼓台程度。
喧嘩(鉢合わせ) [ ] 平成16年上部地区鉢合わせ 金糸銀糸の絢爛豪華な太鼓台の華やかさと隣り合わせで、太鼓台同士をぶつけ合う危険な喧嘩(鉢合わせ)が絶えない現状がある。
五穀豊穣・安全祈願として地域の興隆・繁栄に努めた沢津村(澤津)、宇高村(宇高)、垣生村(町・本郷・山端)、松神子村(田の上・松神子)の神輿太鼓が八幡神社の神輿に供奉する山車として八幡神社に宮入(奉納、祭礼行事)をおこなうようになる。
これを皮切りに太鼓台の派遣事業を本格的に開始。
新居浜太鼓祭りの特徴は? 新居浜太鼓祭りは、四国三大祭りとして、「」、「」とともに有名で、太鼓台と呼ばれる豪華に飾られた山車が50台以上出されて、市内を練り歩くそうです。
東田太鼓台(上部地区)が新設。
祭事であるため行政が直接関わることは政教分離に抵触することから、新居浜市や愛媛県は観光イベントとしての協力や広報活動などを活発に行っている。
(平成24年) - 上部地区太鼓台運営委員会が解散し4地区太鼓台運営委員会に分裂 但し、山根グラウンド統一かきくらべは実施する。
また、子供太鼓台を所有する自治会も多い。
「新居浜太鼓まつり推進委員会」が発足し、平和運行への取り組みがより具体化される。
では、ほんとの船御幸はこんなの! お友達が撮ってくれた写真です! 最後は、「ほんとの太鼓が見たくなった」ということで駅前のへ あかがねミュージアムでは1年中、新居浜市内の太鼓台が入れ替わりで展示されています。
地方祭休業 [ ] 新居浜と 旧 西条では、祭り期間中の「地方祭休業」が通例化している。
(平成23年) - 川東地区から、松神子太鼓台・下郷太鼓台・又野太鼓台が脱会。
太鼓を見て元気になり、ウイルスをやっつけ、来年こそは皆さんを熱い新居浜で太鼓とともに お迎えできますように。
には、新居浜市制施行60周年イベントの会場で、久保田太鼓台と江口太鼓台が鉢合わせ行為を行い、江口太鼓台が破壊され、多数の重軽傷者を出した。
(昭和50年) - 統一寄せ、見送り。
もっとも古い太鼓台の記録は、江戸時代後期、文政年間 1818 - 1830 で、当時は「神輿太鼓」と書かれていることが多かったが、時代を経るにつれて「太鼓台」あるいは「太鼓」とされることが多くなった。