メロディ・歌い回しが一部太田版と異なるが、太田によれば自分のバージョンの方がオリジナル(大瀧がデモテープ代わりに送ってきたバージョン)のメロディに近く、同じように歌うのはつまらないと思った大瀧が歌い方を変えたのではないかと推測していた。
ただ、自身の録音スケジュールの関係や、これまでの太田裕美のサウンドとの一貫性を大事にしたいという大瀧の意向から、についてはに全面的に依頼した。
それが『さらばシベリア鉄道』です。
さらばシベリア鉄道 作詞:松本隆、作曲:、編曲: SIDE B [ ]• 多羅尾伴内楽團 (1978年6月25日 1978-06-25 )• ムチの音はで、間奏抜けのタムはダビング。
恋するカレン• (2014年3月21日 2014-03-21 )• NIAGARA FALLIN' STARS (1987年6月21日 1987-06-21 ) BOXセット• 私の記憶では、大瀧さんがレコーディングしていたスタジオに白川さんとあいさつに行った時、「今レコーディングしている中でどうしても僕が歌うとしっくりこない曲があって、太田裕美が歌ったほうがいいと思うんだ」と言われたような気がするんだけど……どうだったかしら。
NIAGARA CALENDAR 30th Anniversary Edition (2008年3月21日 2008-03-21 )• ( 1982年12月21日 1982-12-21 )• NIAGARA CM STARS (1982年10月1日 1982-10-01 )• 、、大滝詠一 (1976年3月25日 1976-03-25 )• お得意のサウンドにしたかったので。
多羅尾伴内楽團 Vol. 2 30th Edition (2012年3月21日 2012-03-21 )• 現在では太田自身最大のヒット曲「」等と同じく、当曲を歌謡番組で披露する事が多い。
さらばシベリア鉄道 解説 [ ] 「さらばシベリア鉄道」はアルバム『』 からのシングル・カット曲で、ナイアガラ・トライアングル「」との両A面でリリースされたが、はアルバムと異なるシングル・ミックスで、アルバムより46秒短く、最後の・ソロ前でフェードアウトする。
(1987年6月21日 1987-06-21 )• NIAGARA 30th Anniversary Edition (2006年9月21日 2006-09-21 )• 収録曲 [ ] SIDE A [ ]• NIAGARA TRIANGLE Vol. カナリア諸島にて• (2001年3月21日 2001-03-21 )• 監修によるカヴァー曲集『』(発売 CD:SRCL 5012)にも収録。
(1977年3月25日 1977-03-25 )• 雨のウェンズデイ• 英作詞 : TIM JENSEN• NIAGARA CD BOOK I (2011年3月21日 2011-03-21 )• Photo by iStock 鈴木 真相はもうわからないけど、この曲は歌い上げるのに相当なテクニックが必要で、同時に透明感のある声が合うというのは僕も感じた。
Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語(ストーリー)• 2番の第4小節部分の歌詞が、オリジナルの「見 た」に対し「見 る」とわずかに異なっている。
レコーディングについて大瀧は、「はアップライトを2台使って、んです。
大瀧が「」を提供した際、小林の担当ティレクターの意向で企画された。
'69年「はっぴいえんど」にギタリストとして加入。
2月26日に名古屋、28日には大阪にて大瀧詠一のトリビュートライブを行う 白川 '80年当時、僕は裕美さんと並行して大瀧詠一さんを担当していました。
EACH TIME 20th Anniversary Edition (2004年3月21日 2004-03-21 )• ENGINEER :• ただ、裕美さんと大瀧さんでは譜割りがちょっと違うけど、あれはなぜ? 太田 それをよく聞かれるんだけど、私が大瀧さんから「こんな曲だよ」といただいたデモテープは、私が歌っているバージョンだったんです。
アレンジはセルフカバー版と大体同じ。
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その後(2分18秒)に続く金山功のティンパニはわざとずらしてもらったものだという。
凍った大地に佇む女性 太田 そうでしたっけ。
NIAGARA FALL OF SOUND ORCHESTRAL (1984年6月1日 1984-06-01 )• 「今録音した曲は太田裕美に合っていると思うんだけど、どうかな?」と受話器越しに聴かされた。
我が心のピンボール SIDE B• (1981年7月21日 1981-07-21 )• (2010年3月21日 2010-03-21 )• たしかに、聴いているうちに裕美さんの歌声が僕の頭の中にも響いてきた。
9月半ばの深夜に、いつものようにスタジオで一人籠もって歌の録音をしていた大瀧さんから、自宅に電話がかかってきた。
だから実は、「本家」は私なんですよ。
PRODUCER : EIICHI OHTAKI• 多羅尾伴内楽團 (1977年11月25日 1977-11-25 )• (NIAGARA FALLIN' STARS) (1981年4月1日 1981-04-01 )• NIAGARA FALL OF SOUND ORCHESTRAL (1982年6月1日 1982-06-01 )• NIAGARA TRIANGLE Vol. 大瀧はいったんレコーディングを始めたが、慣れない女言葉で歌うのを気持ち悪がり 、担当が同じだった事もあり太田裕美への提供を思い立ったという。
(2018年3月21日 2018-03-21 )• それでレコード化することにしたんです。
(2011年3月21日 2011-03-21 )• 鈴木茂(すずき・しげる) 51年生まれ。
(2018年3月21日 2018-03-21 ). NIAGARA CM STARS (1983年11月1日 1983-11-01 )• (1977年12月25日 1977-12-25 )• by クレジット [ ]• 収録曲 [ ] SIDE A [ ]• (2010年3月21日 2010-03-21 )• 解説 [ ] もともとはが ()「 ()」に刺激され、アルバム『』のために作った曲である。