このズレが大変顕著ですごく心に刺さる。
このように、『推し、燃ゆ』は推しという「超越」に突き抜けた主人公が「世俗」に回帰する物語として解釈できます。
「」「」は単行本を買ったな。
私が購入したのはバージョン。
頑張り方や、物事と向き合う態度が大多数の人と違うだけで、あかりちゃんは決して無気力で、何も考えていない人間ではないと分かります。
そういう非日常の現実の隙間に入ってくる現実の日常が表現されててすごいと思った。
主人公は発達障害? 物語の主人公「あたし」ことあかりちゃんは、もしかして発達障害では……? と思わせられる記述が散見されます。
とくにメンタル状態が悪いときほど「推す」と「生きる」がイコールでつながってしまうの、わかります。
推す対象が、いなくなってしまう。
カバーと本体の色に対する答えは、物語の終盤で得られました。
しかし、ある日推しが燃えた。
中心っていうか、背骨かな。
一方であかりはじゃあ母、姉、父に対して理解しているかといえばそうではない。
わかる。
明確には明かされませんが、発達障害かもしれません。
しかし優れている文学はまたしばしばジャーナリズム的にも優れているものではないだろうか。
根っこに自己肯定感が備わっているのは重要で、これがないと根っこがぐらついてどうしようもありません。
私にとって、ある意味救われた本であると同時に現実をさらに鮮明に突きつけられた本でもある。
あかりはずっと推しの影と一緒に生きてきました。
その対比があかりの友人成美と成美の推しとの関係になるのでしょうが、真幸とあかりはどこまでもファンとアイドル、ニック(消費者と商品等いろんな言い方はありますが……)を極めています。
」 この「気に入っている」の部分は、人によって程度が違います。
(pp. その子はの「・」が好きで、手作りのリン・レン歌曲の歌詞を収集したクリアファイルを塾で見せてくれたことがあり、その分厚さに感心した記憶があります。
だから、ピーターパンではなくなった「大人」になった真幸くんを見て、魔法が解けるという形よりもあかりはじわじわと侵食してくる「変わらない」と「変わっていく」のジレンマから「変わった」(おとなになった)立ち位置に彼がいったことを知っていくのだろうなぁと。
炎上騒ぎは一定のファンを離れさせる一方、熱狂的なファンをさらに熱狂的にするのだろう。
色々な人を「推してきた」と思っている自分だからこそ、改めて 「推す」ということがどういうことなのか考えさせられた作品なので、そんな自分の気持ちをまとめておきたいと思います。
リンク ネタバレにならないポイント感想 発達障害の描写が非常に現実的 作中で症名の言及はされていませんが、推し活動をしている主人公の 女性は 発達障害。
「推し」をテーマに主人公あかりを描きます。
「推し」や「推しを推すこと」と適切な距離を取るということは前提の上で、「推し」が人生の救いとなるハッピーな物語の在り方があるはず…と信じている。
以前はHuluで視聴できたんですが、今は見れなくなっていました… 2020年4〜5月に期間限定で再公開されたので、今後も再公開の可能性あるかもです。
けれど、その「終わり」が来てしまった時、例えば「アイドル」ではなくなったとき。
そしてあかりちゃんのピンク色の肉体が、推しを尊いと思う心を包んでいる。
『推し、燃ゆ』のラストの描写の意味は? この事件が発生してすぐの主人公は、「殴る」という行為の人間臭さがこびりついた推しを再び超越的な存在に押し上げるために、より一層推し活に没頭します。