「かけじや」:「波をかけまい」と「思いをかけまい」との掛詞 「袖のぬれ」:「波で袖がぬれる」と「涙で袖がぬれる」との掛詞 「もこそ」:「も」「こそ」は係助詞、合わさると「~したら困る、~だったら大変だ」 説明: 1102年「堀川院艶書合」での歌。
「ぬれ」…波が袖にかかって濡れる・涙で袖が濡れる 【現代語訳】 噂に聞いている「高師の浜(大阪府)」に虚しく打ち寄せる波はかけないように気をつけます。
縁語は? 「浜」「波」「ぬれ」が縁語となっています。
【あだ波】 いたずらに立つ波、むなしく寄せ返す波のことですが、ここでは浮気な人の誘い言葉のことを暗に言っています。
(波を袖に)かけるまい。
作者プロフィール 祐子内親王家紀伊 藤原重経の妻で、後朱雀天皇の皇女祐子内親王に仕えた。
72番歌 音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の 濡れもこそすれ 「金葉集」恋下469 by 祐子家 生没年不詳 の皇女祐子の女房 (有名な高師の浜の波にはかからないようにします。
(世間で浮気な人と名高いあなたのお誘いを真に受けて、思いをかけないように気をつけましょう。
(噂に高い浮気者のにあなたに思いを募らせて、わたしの袖を涙で濡らしてはいけませんから) 句の作者 祐子内親王家紀伊(生没年不詳) 祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけのきい)は、平安時代後期の歌人で、女房三十六歌仙の一人。
というパターンで歌合わせが進行するらしいのですが。
そこで70歳の紀伊に贈られたのが29歳の藤原俊忠の歌でした。
この当時、俊忠の29歳に対して紀伊は70歳くらい。
後朱雀天皇の皇女祐子内親王に女房として使えました。
男性がまず女性に恋歌を贈り、女性が男性に返歌を詠み返す、という中古貴人の恋愛模様を、畳の上の 歌合せの席でヴァーチャルに再現してみよう、という趣向の「 艶書合」などという何とも色めいた催しが、天皇ご自身の主催により行なわれていた、実に 雅びな時代でありました。
一宮紀伊、紀伊君とも呼ばれる。
掛詞(2つの意味がかかっている言葉)を上手く利用して、言外の気持ちを上手く表しています。
取り合わせの妙もさることながら、そこでこのような薫り高い歌が詠まれたことを想像すると平安歌人たちの遊びの典雅さに、羨望さえ感じてしまいます。
現在では往時の面影は希薄だが、関西では「ユートピア」とまで称される風光明媚な高級住宅地だという。
男の浮気心の隠喩。
<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。
意味・現代語訳は? 『音にきく高師の浜のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ』の意味・現代語訳は以下のようになります。
(決して)~するまい。
大伴の高師の浜の松が根を 枕 ま きて 寝 ぬ る夜は家し偲はゆ (置始東人) 音に聞く高師浜のあだ波はかけじや袖の濡れもこそすれ (紀伊) 泉南郡岬町。
実はこの歌、男は29歳、詠んだ女性はなんと70歳。
歌の読み方は? この歌は「音に聞くたかしのはまのあだなみはかけじやそでのぬれもこそすれ」と読みます。
だからどうしても男尊女卑のイメージが強いのですが、どうしてどうして女も負けてはいません。
29歳と70歳の男女の恋歌の交歓。
この歌の舞台となった和泉国高師浜は、今の大阪府堺市浜寺から高石市におよぶ一帯です。