スープはあっさりめで、家庭的でどこか懐かしい味。
以前、実際に街で見かけた坂内さんの店舗はほぼ「小法師ブランド」になっていた気がするのですが。
その頃でした。
でも、自分は定期的に計画を立てて作りたかったんです。
表記はすべて税込。
本家の難点はすごく混むことです。
大学を出て経営を知りたいとまず銀行に入って、その後FCというものを学びたくて転職したりしたのですが、気づけば28歳。
本家も喜多方で一番大きい製麺業者さんに作ってもらっていますし、我々もそこから取り寄せています。
スープがなくなり次第閉店• その三代目の彼も、実は今ウチの社員でして、飲食ビジネスを勉強させています。
これこそが喜多方ラーメンのスタイルだと昔から思い込んでいたのですが、実際に喜多方に行くと、坂内食堂以外のお店はもっと醤油の色が濃かったり、麺も平べったくなかったりしますよね。
そして、昭和59年に喜多方ラーメン坂内の前身となるお店「くら」が内幸町のガード下にオープン。
「坂内」の名前を知ってもらいたい との思いで、何度も百貨店やイベント会場での催事にも出店しました。
関連記事• 当時お客さんの7~8%が注文してくださったけど、今は14%くらいになっています。
そちらが本家とのことですが、どういった関係なのでしょうか? 中原社長:父である創業者の中原明が、お亡くなりになった本家坂内食堂先代の坂内新吾さんからのれんをいただきました。
こちらも「朝ラー」実施店で、早い日には午前10時には閉店してしまう程評判のお店。
独特の縮れがあり、食感は柔らかい。
豚、鶏、魚介、野菜の合わせダシに和食のカエシの技術を応用した琥珀色に輝くトリプルスープに、一子相伝の正油ダレをブレンド。
それから20年30年たったら、類似店がみんななくなっちゃった。
スープは醤油味の透明な豚骨スープが基本で、あっさりした味わいである。
人件費も相当かかるのではとお察しします。
中原会長と喜多方ラーメンの出合いは、次のようなものだ。
アメリカ西海岸在住の日本人からは「味の濃いものしかあの人たち食べないから当たるわけない」と散々言われたんです。
やっと、美味しいラーメンが食べられました! 「とにかく、みんな!ありがとう!」 参考:. ただお店自体は大ヒットしていて、加盟店やらしてくださいと人が列をなしている状態だったので、国鉄JRを飛び出して会社を立ち上げることにしました。
中原社長:こんなもんやれっかと(笑)。