スポンサーリンク 個人の利益の追求と社会全体の幸福の実現の一致としての「隗より始めよ」の本当の意味 以上のように、 古代中国の故事においては、 燕の国の賢者である 郭隗が示した 人材登用と富国強兵のための策の中で、こうした 「隗より始めよ」という言葉が語られていくことになるのですが、 ここでは、必ずしも、 他人が嫌がるようなことを自ら率先して行うことによって模範となるといったことや、単に 身近なことから地道にコツコツ始めていくことで大事を成すに至るといったことが述べられているというわけではなく、 上記の故事において郭隗は、むしろ、 この策をはじめに思いついた 先駆者である自分がまず先に利益を得ることによって、それを見ていた 様々な才能を持った他の人々も燕の国に集まってきて 厚遇されることによって利益を得ることになり、 さらには、そうした 有能な人材が数多く集まることによって、 燕の国全体がさらに豊かになり、 万人が得をしていくことになるといった意味で、こうした 「隗より始めよ」という言葉を語っていると考えられることになります。
是に於いて昭王隗の為に改めて宮を築き、之に師事す。
やっぱり使い方がわからないよ。
A、Bのどちらの意味で使うにしても、「千里の道も一歩から」(正確には「千里の行も足下より始まる」らしい)とか「ローマは一日にして成らず」のほうがわかりやすい。
なことを望むのなら、まずなところから始めるとうまくいくものだ。
まとめ 「隗」とは「けわしい」や「高い」といった意味のある漢字ですが、常用漢字ではないので「隗しい」よりも「険しい」が使われます。
さすれば私よりも優れた者が千里の道も遠しとせず、王に仕えるためにやってくるでしょう」と言うのでした。
また、元の意味から転じて「ものごとを始めるには、言い出した者(自分自身)がまず始めるべき」というニュアンスでも使われています。
すると本当に全国の名士が集まりました。
この言葉の由来となる出来事は、『戦国策 せんごくさく 』の「燕 えん 」に収められています。
はなから遠大な計画につぶされてしまわないように、まずは身近で手っ取り早いところから始めてみてはいかがでしょうか?. という意味に使われています。
すると、郭隗が言った通り、優秀な人がどんどん集まるようになり、ついには中国古代史上最強の将軍と言われる楽毅 がっき までやってきました。
場所は中国北東部にある「燕」という国。
昭王は戦死者を弔い生存者を見舞い、丁重な言葉使いと礼品を用意し賢者を招こうとしました。
彼は、3ヶ月後に千里. 争いに勝つしかない。
2つに分けて考えようか。
隗より始めよ、今時皆無の涙の感動作。
これに対し、答えの選択肢はこのようになっています。
「おまえら読者のそういう態度が今の漫画の質の低下を招いているのわからんのか?」 たしかに、その漫画家の味方になれとはいわなくても、彼に愚痴くらいは気持よくいわせてあげたほうが良いのかもしれません。
隗を優遇した結果、各地から有力な人物が集まることになりました。
皆さんどうです?」と私が申しました。
【出典】 『戦国策』 【注意】 「魁より始めよ」と書くのは誤り。
彼が燕の国に行くと、燕の王様は「賢者はどのようにしたら求めることができるか」と聞きました。
隗曰く、 古の君に、千金を以つて 涓人 けんじんをして千里の馬を求めしむる者有り。
君怒る。
だいじょうぶ、スタッフさん、おもしろいですよ。
そして、 こうしたもともとの 古代中国の故事においては、 「隗より始めよ」という言葉は、上述したような 身近なことからコツコツ積み重ねていくといった意味や、言い出しっぺとなった当人が 他の人が嫌がるようなことでも自ら率先してやり始めることで他者の模範となるべきであるといった この言葉の 現代における通常の使われ方とは、 少し異なる趣を持った意味で語られているとも考えられることになるのです。
-燕策における、郭隗の以下の言葉から 「今王誠欲致士、 先従隗始、隗且見事、況賢於隗者乎」 (今、王、誠に士を致さんと欲すれば、先ず隗より始めよ、隗且つ事(つか)えらる。
「隗より始めよ」は日本でときどき使われる表現だが、注目を集める記者会見の場で、鈴木知事がこの中国と縁の深いフレーズを使ったことが、ますます中国人の心にぐっと刺さった。
詳しくは下記をご参照ください。
【類義】 - 【対義】 - 【英語】 Practice what you preach. そうしたこともあり、苦労人で、一介の公務員から努力して知事という地位に就き、日本人には珍しく、自分の言葉で率直な発言をする鈴木知事のことが、彼らの目から見ると新鮮で、頼もしく映ったのではないだろうか。
況んや隗より賢なる者、 豈 あに千里を遠しとせんやと。