それはほんまに、何にもまさるんや。
小式部、これより、歌詠みの世おぼえ出で来 にけり。
現代語訳 と(小式部内侍は定頼の中納言に)詠みかけた。
またとの間に女子を生んだ(堀河右大臣家女房。
母・と同じく歌才に優れ、後年「女房三十六歌仙」の一人に数えられました。
彼はいい踏み台になってくれたわね。
けど、それを超える実力をつけるんが、腕の見せ所ってもんや。
電話も、ケータイもスマホもない。
和泉式部、保昌が妻にて丹後に下りけるほどに、京に歌合ありけるを、小式部内侍、歌詠みにとられて歌を詠みけるに てことで、小式部内侍は、歌詠みに「 とられた」んやったな。
母と共に一条天皇の中宮・彰子に出仕した。
いっしょに歌合に参加するはずだった和泉式部がいないので、心配する気持ち。
顔なんか全然わからん。
そしたらどうなったと思う? 定頼の中納言ったら返事もしないでどっか行っちゃったの。
和泉式部、保昌に具して丹後国に侍りける頃、都に歌合侍りけるに、小式部内侍歌よみにとられて侍りけるを、定頼卿、局のかたに詣で来て、「歌はいかがせさせ給ふ、丹後へ人はつかはしてけんや、使まうで来ずや、いかに心もとなくおぼすらん」など、たはぶれて立ちけるを、引き留めてよめる おほえ山いく野の道のとほければまだふみもみず天の橋立 (金葉550) 【通釈】大枝山を越え生野を通り、幾つもの野を過ぎて行く道があまりに遠いので、まだ天の橋立を踏んでもおりませんし、丹後からの母の手紙も見ておりません。
【参考歌】よみ人しらず「古今集」 春の色のいたりいたらぬ里はあらじさけるさかざる花の見ゆらむ 二条前大臣、日頃患ひて、おこたりて後、「など問はざりつるぞ」と言ひ侍りければよめる 死ぬばかり嘆きにこそは嘆きしかいきてとふべき身にしあらねば (後拾遺1001) 【通釈】 あなたのご病気を聞いて私の方こそ死ぬばかりに嘆きに嘆いておりました。
小式部内侍 けど、宮中では 「ホンマかいな」「どーせ親のコネやろ、コネ」「歌も親が作ってんちゃう?」って言うやつもおったらしい。
子供を出産したときにな。
優れた和歌を選んで編集し、和歌集を作成する事業。
また『無名草子』にも彼女に関する記述があり、理想的な女性として賞賛されている。
[ 現代語訳・原文・語句 ] 和泉式部、保昌が妻にて 和泉式部が、保昌の妻として 丹後に下りけるほどに、京に歌合ありけるに、 丹後の国に下った頃に、京で歌合があった時に、 ・下り … 四段活用動詞「下る」の連用形 ・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形 ・あり … ラ行変格活用動詞「あり」の連用形 ・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形 小式部内侍、歌よみにとられてよみけるを、 小式部内待が、歌合の詠み手として選ばれて詠んだところ、 ・とら … 四段活用の動詞「とる」の未然形 ・れ … 受身の助動詞「る」の連用形 ・よみ … 四段活用の動詞「よむ」の連用形 ・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形 定頼の中納言、たはぶれに小式部内侍に、 定頼の中納言が、ふざけて小式部内侍に、 「丹後へつかはしける人は参りにたりや。
がこの頃から小式部内侍に好意をもっており、自分より身分の高い相手と恋愛中の彼女にやっかみ半分で、からんでいったのかも知れません。
それも何とか「わづかに」、つまりほんの少しだけ、目を開いて見るんや。
その後、1011年の一条天皇崩御後に彰子の皇太后宮権大夫になった藤原教通と知り合い、恋に落ちます。
また『無名草子』にも彼女に関する記述があり、理想的な女性として賞賛されている。