そこが期待できる要素であり、同時に不安にもなる要素なわけだ。
また、過去作を遊んできたユーザーの間ではシリーズに対する「飽き」という問題も解消しなければならない。
個人的に、もっとも長く遊び続けた『どうぶつの森』は、このニンテンドーDS版になります。
そして、不自由の楽しさがあるにも関わらずリセットしたいプレイヤーに譲歩している部分もある。
村のかたちによっては、微調整も必要です。
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とたけけのライブが開催されるまでは、言ってみればストーリーに沿った体験であり、とたけけに来てもらうことでプレイヤーに「島起こしを成功させた」という達成感を持ってもらえる流れを導入している。
庭に花を咲かせなくても死にはしないし、虫が嫌だったらわざわざ捕ることもない。
これらは「すべてを自分の思うように進行させるゲーム」として捉えると不満すら出かねない要素だが、もちろんあえてそうしているのだし、そうなっているから生まれる体験だってある。
ただ、これにも問題がある。
新作として考えられる方向性は、プレイヤーの裁量が増えるということだ。
CEDECにおけるセッション「『あつまれ どうぶつの森』~シリーズにおける伝統と革新の両立を目指すゲームデザイン~」にて、任天堂の野上恒氏と京極あや氏は「どうぶつの森」シリーズがいかに変化を遂げると同時に、そのアイデンティティが守られてきたのかについて語った。
シリーズの歴史を紐解きます 空前のヒットとなっているNintendo Switch用ソフト『あつまれ どうぶつの森』ですが、そもそもこのシリーズは2001年4月14日に発売されたニンテンドー64用ソフト『どうぶつの森』に端を発します。
たぬきちの作業台を借りて作成すると、無人島から新しい材料を入手できる。
そして、重要であるのは同じコミュニケーションの持続ではなく、時代と共に新しいコミュニケーションの種を蒔くことだと、『とびだせ どうぶつの森』からシリーズのディレクターを務めることになった京極あや氏は考えた。
2005年のニンテンドーDS『おいでよ どうぶつの森』が大ヒットしたあと、2008年にWiiで発売された『街へいこうよ どうぶつの森』はそんな一作であったと言えよう。
前述のようにこの作品は用意されたもののなかから自分で何をするか見つけるゲームなのだが、そこにもうひと工夫を加えて楽しくしているわけだ。
そのときに友だちと交わした、 「こちらでも、よろしくね!」 という挨拶は、村(島)にやってきたどうぶつたちと交わす、 「これからよろしくね!」 なんてやり取りを思い起こさせ、妙に感動したことを覚えています。
『あつまれ どうぶつの森』も本商品の対応ソフトになっているため、お得に購入できるというわけだ。
『とびだせ どうぶつの森』(2012) 「どうぶつの森」においては、そういった一期一会とでもいうべき精神が重要視されている。
「コミュニケーション」の刷新と飽きの払拭を合わせて解決する要素が「村長になる」という新要素だった。
『あつまれ どうぶつの森』では経験者だけではなく、シリーズ初体験のプレイヤーでもわかりやすく楽しめる作品を目指した。
途中までゲームに具体的な目標を提示されることによって、プレイヤーは「何をすればいいのかがわからない」という問題に陥ることがなくなるはずだ。
「どうぶつの森」の機能的な特徴は復数のプレイヤーで同じセーブデータを共有できることにある。
そこで、Wii版のように長く遊ぶことで徐々に見えてくる新しさではなく、遊ぶ前からわかる新しさが必要であるという結論にたどり着いた。
どうぶつの森」シリーズの売り上げ本数は、3DSの『とびだせ どうぶつの森』が1282万本、DSの『おいでよ どうぶつの森』が1175万本、Wiiの『街へいこうよ どうぶつの森』は338万本。
しかし、『あつまれ どうぶつの森』はこのサービスには非対応。
プレイヤーを村長にすることで、村作りへの意識を広げることでそれまでのシリーズと差別化を図り、遊ぶ前から新しいとわかる。
繋がりをもった相手がさらに別の村と繋がりを持っている場合、直接接点のないプレイヤーとも記憶は間接的に繋がったことになり、最終的には世界中のセーブデータが繋がる。
そうしたトラブルを避けるためにも、家族それぞれにニンテンドーアカウントを作り、個別に買うことが必要というわけだ。
さらにゲームとしての基本はすでに確立されているため、単純に要素を追加されただけでは代わり映えしない。
据え置き機向けとなると、どうしても『街へいこうよ どうぶつの森』のことを思い出さざるを得なかったし、何よりずっと疑問に思っていたことがある。