リヴが成長してスティーヴンの娘であることを知り、スティーヴンも自分の姓を名乗ることを勧めたために、リヴ・"タイラー"となった。
さらに驚かされたのは、ジョンを80年12月にニューヨークの自宅前で暗殺したマーク・チャップマンは、大のラングレン・ファンであったことだ。
WORLD PREMIERE I SAW THE LIGHT IT WOULDN'T HAVE MADE ANY DIFFERENCE TOO FAR GONE ENDLESS PRAIRIE Lorne Green,1966 I DON'T WANNA TIE YOU DOWN Arthur Brown 1968 THE WHEEL COMPASSION PATCHES LYSISTRATA ONE WORLD 以前トッドがミックスした北欧のアーティストLindstromのメンバーらとユニットを組んで、"Runddans"というアルバムを作る。
でも、高校生にとってメンフィス出身かつR&Bルーツを持つ、 激渋のおっさんの作品はハードルが高かった。
元はポスターサイズになっていいたものもある) WIZARDにはレプリカのポストカード(はがきサイズではなく、なぜかCDで付属した時に再現された小さいサイズ)がついている。
ふたりとも同じ1948年生まれなので、彼らが子供の頃に聴いた音楽の影響でその天才が開花したのかと思うと興味は尽きないが、この両者には似ている部分も多い。
アンコールはトッドだけ出てきてCan We-I Saw the Light-Hello It's Meメドレー。
それぞれに違うゲストを呼んで、違った側面を見せるようにしていますね。
観客参加のインタラクティヴ・ショーを行うが、大阪公演は機材のトラブルで中止となる。
We know each other really well, we love each other's music, there are a lot of similarities in our music, so it's a great match. ロマンチックで哲学的、ユーモアのセンス溢れるソロ・アーティストとして、もしくはニューヨーク・ドールズ、グランド・ファンク、バッドフィンガー、ホール&オーツ、パティ・スミス、チューブス、XTC、チープ・トリック、ミートローフを手がけた超売れっ子プロデューサーとしてのトッド・ラングレンのファンも多いだろう。
このときのメンバーは、、サイモン・カーク、、ティム・キャペロ。
5月後半から10月にかけて、の「ヒズ・オール・スター・バンド」に参加し、北米・ヨーロッパをツアー。
1974年 2月、5枚目のソロ・アルバム『』リリース。
当時このアルバムは日本ではリリースされておらず、寺下さんから借りたレコードをカセットに録音して、 幾度も幾度も聴き続けました。
バラードといえば1971年に発表された『』は丸ごとバラードの名盤なんでこちらもチェック。
この曲は、前回のフジロックでボサノヴァ・ヴァージョンで披露された。
ニューアルバム『ホワイト・ナイト』ではナイン・インチ。
最初はちょっと厳しめの感じの人だったけれど、日々過ごす内に、 彼女もロックやポップスが大好きだということがわかり、 いろんなバンドやアーティストのことを話していたことを思い出します。
高野:YouTubeの関連動画で音楽を探すのって、今の10代の音楽の聴き方と全く同じですよね。
ただし、今度のフジロックでこれから紹介する名曲たちが聴けるとは限らない。
曲を聞いたとき、自分が参加した時と全然雰囲気が変わっていた。
5月3日から15日にかけて東京、大阪などで公演を行う。
1982のソロはTV番組OLD GREY WHISTLE TESTでも放映されてるので、このDVDが予想されます。
トッドはジャケットを脱いでいないのでまだ最初の方の曲だと思われます。
若い人は、約25年間もヒット曲を生み出していない彼のことを全く知らないかもしれない。
を唄う。
3月、のアルバム『』のプロデューサーに起用されるが、ジャニスと衝突して降板。
ラングレンは、「僕が気にかけてないことは、みんな知ってるだろ」と『Billboard』誌に話した。