なお、赤膚の名の由来は地名にあるとも、また赤みがかった土に由来するとも言われていますが詳細は定かではありません。
当時のものは多くが円形であったため、この形のものが一般化して「団扇」という文字が定着していった。
苦しい時期を必死で乗り越え、6代目を継ぐ頃には、自然と楽な気持ちでやりたいことをやれている自分がいた。
当日は各界著名人揮毫の絵うちわやお寺で手作りした魔除けのうちわ数千本が奉献されるとともに、一山の僧侶により法要が行われ、講堂前庭では南都晃耀会による舞楽の奉納があります。
彫っている模様が合うように接着できました。
一方、松烟墨は、それより遅く藤原時代以後、紀州や近江で作られましたが、鎌倉時代に滅亡しています。
それまで晒は、主として僧侶や神官の衣装として用いられ、武士の裃や夏のひとえものとして、販路が広がりました。
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また、うちわの抽選券も配布されません。
・・・まあ、裏表論争はともかく、今年の夏は、エアコンの温度を少し上げて、奈良団扇で涼を取りたいと思います。
奈良の伝統工芸品とされているが、素材すべてが奈良産という訳ではない。
和紙の色あせが独特の風合いを生み、自分の色に染まっていくようです。
同じものは絶対できない。
インテリアとして飾っていただくのはもちろんのこと、実際手に取って扇いでもらえれば他の団扇との違いがよく分かっていただける。
奈良で有名な春日大社。
記念すべき第一回目の講座は、 伝統工芸品である「奈良団扇」の制作体験。
奈良を代表する伝統工芸品の1つです。
彫った和紙を柄に貼り付けていきます。
「奈良は何度も足を運ぶと、細かな発見がたくさんあって、他の県に絶対負けない」。
楽焼茶碗を堯山公に献じて木兎の号を得た郡山藩の御殿医青木木兎 もくと や大和郡山市内で小間物正を営みながら楽焼を始め、多くの名作を今に残す奥田木白 もくはく らによって赤膚焼の声価を全国に高めました。
慣れたいまでも「しんどい」という。
その団扇がこちら。
外周りの余分な骨と扇面を縁裁ち用刃物と木槌で叩いて切り落とし形を整えた後、届けていただけるとのことで、完成が楽しみです。
奈良県生駒市高山地区は全国唯一の「茶筌の里」として知られ、国内生産品の100%がこの地区で作られています。