6月になり、7月になっても警察からは何の接触もなかった。
高校3年になると、日高は担任の教師から、筑波大学への推薦入学をすすめられる。
広島県警が殺人・死体遺棄事件として捜査開始。
ホテルを出てから殺せばセックスもタダでできる。
しかし、酒と女に溺れていた日高はバイクの酒気帯び運転で逮捕され、遊ぶ金欲しさにひったくりを繰り返していた。
成績は優秀で、マラソン大会で優勝するなどスポーツも万能。
車の中で3万円を渡してホテルに入った。
大学4年時、留年が確実となった。
そして市役所の臨時職員として働き始める。
死刑囚Hと接見して再審請求・恩赦出願の権利行使を促すべきだろう」と考え、同日15時10分ごろに広島拘置所で「再審請求の弁護人となろうとする者」として死刑囚Hとの接見を申し入れた。
控訴せず死刑が確定した。
一連の事件を起こしたころ、Hは昼間に広島市中心部ので、夜は中国地方最大の繁華街である・界隈(いずれも)でそれぞれタクシーを停車して客待ちをしていたが、特にでは昼間 - 深夜まで客待ちしながら長時間停車しており、手当たり次第に女性を誘う姿が目撃されていた。
万里子は危険を察知し、振り返って叫んだ。
日高は内心、やられたと思った。
「もう、お金はいらんから!」 叫ぶように言うと駆け出した。
1989年、出所した日高は宮崎を離れ、叔父を頼って広島市へ出た。
5月6日、殺害から18日後、宮地里枝の腐乱した遺体が発見され、翌7日、日高は遺体が発見されたことをニュースで知る。
そのため、Hは妻を入院させ娘を妻の実家に預けたが 、その後は再び遊興に明け暮れて借金を重ねるようになり 、(平成6年)末には200万円の借金を抱えたため、実家の兄に借金を肩代わりさせたが、義両親の実家に引き取られた娘と疎遠になったことなどから生活は荒れていく一方で 、その後も再び借金を繰り返していた。
最後にネクタイでとどめを刺した理由について別冊宝島 2006 は「ネクタイで絞殺す感触が忘れられなかったからだろう」と述べている。
宮崎でも女癖の悪さと酒癖の悪さが変わらずに金がなくなって強盗にはいったということです。
Hは被害者Dが所持していた現金約56,000円 ・携帯電話を奪ったほか 、「タクシーの座席がDの血液・(失禁した)糞尿で汚れてはまずい」と考えたため、Dの遺体の首に巻き付けたネクタイの両端を天井側部の手すりに結び付け、遺体を首吊りの格好で天井に固定した状態でタクシーを移動させた 、そして2時40分ごろ 、Hは広島県葛原(現:広島市湯来町大字葛原)の旧道沿い草むらに Dの遺体を投げ捨てるようにして遺棄した。
ホテルからの帰途、タクシーの中で日高は少女を手にかける。
サービス向上に心掛け汚名返上してほしい」と話した。
(10月16日に「何もやる気がしない」などと悩みを吐露したことについて)「現在はずいぶんよくなりましたが、自分でいったんは『頑張ります』と公言した以上、弱音は言いません」• 15時20分ごろ、広島拘置所第二統括の刑務官は「足立が死刑囚Hとの接見を申し入れている」ことを聞き、15時40分ごろになって接見係の副看守長からその要件を確認した上で首席から「原告の接見申し入れ内容は『再審請求の件』である」ことを報告したが、首席は第二統括に対し15時55分ごろ「死刑囚Hは再審請求をしているわけではないため、足立は面会の相手方として該当しない。
D事件(第4の事件) [ ] 事件発生:1996年9月14日2時10分ごろ(殺害時刻)• 殺害現場:広島県穴(現:広島県山県郡穴)・の脇道• そしてホテルにいきました。
「借金の返済が賄える」と考えた。
その結果積み重なった借金がさらにストレスの源となり、更に酒浸りになる悪循環に陥った」と証言した。
Hは出身地の九州各地を転々とした後 、20日にいったん広島市内の自宅へ帰ろうとしたが、そこで警察官が張り込みをしていたために断念して再び九州への逃亡を目論み 、同日夜に広島市中区の路上で盗んだ乗用車により逃亡しようとした。
9月7日午後10時半、目標としていた運賃収入の5万円には達せず、3万円止まりだった。
請願作業にも身が入らないし教誨も休みたい」などと申し述べた。
事件当時年齢:37歳 犯行日時:1996年4月~9月 罪状:強盗殺人、死体遺棄 事件名:広島女性4人連続殺人事件 1962年、宮崎県宮崎市で生まれる。
この後に日高広明は広島にいるおじのところをたより、広島でタクシーの運転手を始めたということです。