そこで一々各外来・病棟毎に台帳を作成していたのを止めさせ,フィルムは照射録と共に各外来病棟毎に分けられた集配棚の籠に入れ,持って行くときに照射録にサインをさせるようにしました。
(昭和57年)3月 本館及びエネルギーセンター増改築。
この試算が基になり,MRの購入話が持ち上がりました。
昭和44年 栃木県庁構内の整備計画により、支部・血液センター合同社屋並びに災害救護倉庫を宇都宮市昭和に建築し移転。
大田原では手書きより速くきれいに仕上がり,定型文のメモリーを多く使用できる電子タイプライターを使っています。
(1996年7月)• 6.IVRについて IVRの施行にあたっては,IVRの内容をよく理解しており,患者管理に長けたコメディカルの専門チームを作ること,高額な特定医療材料,高額医療機器などをたびたび用いるためIVRの手技を標準化させ,必要物品を常に絞り込んで管理をすることが重要です。
以後,私の色々な改革案は看護部の全面的な支持を得て行うことができるようになりました。
1.赴任当時 大田原赤十字病院に初めて専任の放射線科医が赴任したのは昭和54年で,専門が放射線治療であったため,昭和57年 4 月に新築になった外来棟 1 階の放射線科は一般撮影,X-TV,血管撮影などと共に放射線治療装置,治療計画室および工作室,診察室,小線源治療室など治療関係を中心に建てられていました。
初めは放射線科医のレポートなんかいらないと言っていた医者も毎回届くようになれば,ちょっと覗くつもりで読むようになり,そして自分の思ってもみなかった疾患が報告書に記載され,それがたまたま当たっていたりしたら毎度必ず見るようになります。
つらいことですが怠ってはいけないことです。
バランスシートを見て,検査件数が少なく保険点数稼働額も小さい割に技師の人員配置が多かったりする部門はその理由を調べ,合理化を図ります。
今回のレポートは 大田原城下に引かれた用水という文脈で蟇沼用水を追っているので、やはり城山ルートをメインにしたい。
外科カンファレンスに赴任早々から参加したこと,読影はなるべくリアルタイムで行う方針をとったことがCTの需要を喚起したため,検査待ち時間は少しも短縮できませんでした。
蟇沼用水堀自身も、貧弱ながら城の外堀として機能するような位置関係で城郭の南側(北側は蛇尾川が天然の堀となっている)を囲むように流れている。
「お前は外科のレジデントだからCTを読影できないのはしょうがない。
読影は必ず複数の医師で行うこと。
合理化を行い,それでも採算がとれない部門(例えば,放射線治療部門)は病院としての必要性をみんなで議論し,必要性があるならば,続けていくための原資をどこからあてるのかを決めておく必要があります(他人の上がりを掠ることになるのですから)。
形成外科• 放射線治療をメインにしていたため,放射線科の入院患者がおり,さらに小線源治療病室も毎週入院がある状態で,診断の仕事はCTの読影と時々依頼される血管造影,そして週 1 回の消化管造影でした。
そのため,放射線科医のように定年まで病院で働くことを前提とした医師が病院全体を把握する立場で長く仕事をし,臨床各科の医師と信頼関係を持っていれば,病院管理者として最適な人間となるのは自然なことです。
臨床研修指定病院 (2003年10月)• 建立時代不詳。
明らかに水の豊かな地域のほうが水を粗末に扱っている訳です。
レストラン「からす亭」前で、後述する水元神社の湧き水路線と合流しクランク状に曲がる。
見落としがなく,且つ無駄なスキャンをしないようにプロトコールを組んで努力しても 1 年間で増加した件数は約 1 割でした。
例えば,RIで午前中にGaシンチ 1 件,午後に骨シンチ 1 件しかないのに技師を 1 日配置しておくというようなことで,これは明らかに予約スケジュールの組み方に問題があります。