2017年の審査員を調べました。
さて、もし、今回のコンクールで悔しい結果になってしまった生徒は、来年に向けて再出発が受かった人より早く出来ます!反省点をしっかり克服して、早い段階で基礎から見直して再出発しましょう。
しかし、今回とりあげられたブラームスのVn協奏曲は一筋縄ではいかない作品である。
第2次予選• 近年だと、桐朋と東京芸大が分け合っている様子で、桐朋女子校から数年に1回抜擢している様子です。
今日クラコンの本選がかつしかシンフォニーヒルズのアイリスホールで行われ、今年もヴァイオリン部門の審査員を務めてきました。
期待 他の大学のピアノ科の人が、このヒエラルキーをぶち壊してくれることを願います。
これほどまでに真摯な想いに支えられて演奏できたソリストの方々は何と幸せなことだろう! もともとこの演奏家には、会場の空気を一瞬にして清澄なものに変えてしまうような高音域の清冽な美音がそなわっているが、今回の演奏会では、それにくわえて、この作品に必須となる渋みのある中音域の表現力が深まり、結果として、総合的な表現力が劇的に高まっていた。
そのようなものに才能を捧げるのは何とももったいないことで、そんなものは早いところで卒業してしまえばいい。
2020年5月22日の再放送。
第2次予選• うーん、たまたまなのを本当に祈ります。
音楽教育者賞(グランプリ・2名以上の本選入賞者に指導している先生に贈られ、アンサンブル部門は1組で1名 証書贈呈)• 一昨年に電車が止まり危うく遅刻になりそうになった教訓から今回も、押上のリッチモンドホテルに前泊致しました。
「チャイコフスキー国際コンクール」は世界で最も権威のある三大コンクールのひとつとして4年に一度開催され、「ピアノ」「ヴァイオリン」「チェロ」「声楽」 に加え、今年から管楽器 木管楽器・金管楽器 部門が新設されました。
また、第1楽章のカデンツァ等を聴いていると、この演奏家の中に単に清潔な美しさを志向するだけではなく、逸脱を厭わずに音楽の本質を表現しようとする熾烈な意志が息づいていることが痛感された。
一番うしろの席で審査をしていて、抜群に良く聴こえるんですよね。
篠崎功子(桐朋学園大学特命教授、東京音楽大学客員教授)• 任意の自由曲を参加曲の中心に据える特色を持ち、幅広い年齢層を対象に、ピアノ部門、ピアノ協奏曲部門、声楽部門、弦楽器部門、管楽器部門、アンサンブル部門、アマチュア部門から構成されています。
そのようなものに才能を捧げるのは何とももったいないことで、そんなものは早いところで卒業してしまえばいい。
その調子で頑張っていきましょう! ちなみに、今年のの結果は7人が優秀賞をいただき、全国大会に行けることとなりました。
いずれにしても、荒井さんが、自己の「才能」の豊かさに溺れることなく、強靭な意志をもって探求にとりくんでいける演奏者であることが確認でき、これから必ず大成していくだろうという安心感と信頼感を得られたことは、昨日の演奏会の大きな収穫であった。
私の失敗談を交えてお話しております。
稀有の個性をそなえている演奏家なので、あらためて古典を演奏するということの意味を熟考するべきなのではないだろうか……素人ながら、そんな心配を覚えてしまった。
この結果にはかなり違和感を感じます。
ここぞというときに繰り出される高音域の美音は、それまでの中音域の充実した音楽があるからこそ、唖然とするような喜びをあたえてくれるのである。
江澤 聖子 国立音楽大学演奏・創作学科准教授 村上 弦一郎 桐朋学園大学ピアノ専攻教授 小森谷 泉 桐朋学園大学ピアノ専攻教授 須田 眞美子 桐朋学園大学ピアノ専攻非常勤講師 岡田 将 神戸女学院大学音楽学部准教授 東 誠三 東京芸術大学音楽学部教授 青柳 晋 東京芸術大学音楽学部准教授 小倉 貴久子 東京芸術大学古楽科非常勤講師 楊 麗貞 日本大学芸術学部研究所教授 この審査員と、この結果。
by maguline 2021年07月13日. 地区本選進出者(予選優秀賞受賞者)は次の通り。
《D 級》 押山結愛 平林かこ 庄司優希 《E 級》 小林 浬 上田夏帆 《F 級》 新田雛菜 岩本晶奈 《A1カテゴリー》 矢田由紀 《A2カテゴリー》 該当者なし 《B1カテゴリー》 山足茉莉江 《B2カテゴリー》 竹島香織 原田敦子 松井絵里 通過 《Yカテゴリー》 本多美琴 大橋 雛 黒田有紀 《Jカテゴリー》 小寺理恵子 《Cカテゴリー》 高橋昌子 岸本浩美 なお審査は、遠藤志葉、小久保素子、西川潤子、三浦達枝、村上理子が担当した。
逆に、荒井さんは、この作品の高みを仰ぎ見て、そこに自己の表現を高めていこうとする内熱する意志と情熱を漲らせて、この作品の魅力を十全にひきだすことに成功した。
生まれながらにあたえられた彼等の存在そのものに息づく魅力が表現された演奏とでもいえるだろうか……。
実際、関さんは、作品を自己にひきよせて演奏したが、結局、作品とのあいだに齟齬を起こしてしまい、あきらかな失敗に終わってしまった。